スピードランの歴史:DOOMのデモファイルからGames Done Quickまで
ゲームを最速でクリアする遊び、スピードランはどう始まったのでしょうか。DOOMとQuakeのデモ文化、TASの登場、Speedrun.comとTwitch、チャリティーマラソンGDQ、スーパーマリオブラザーズの世界記録争いまでまとめます。
ゲームをゆっくり隅々まで楽しむ人もいれば、1時間かかるゲームを5分以内にクリアしようと何千回もやり直す人もいます。後者を「スピードラン」と呼びます。ゲームをできるだけ早くクリアすることを目標とするプレイスタイルです。
最初は一部の人の趣味でしたが、今では大勢の人が記録挑戦の配信を見て、チャリティーイベントで数千万ドルが集まる文化になりました。この記事では、スピードランがどこから始まったのか、どのような技術とルールで成り立っているのか、そしてコミュニティがどのように成長してきたのかを見ていきます。
タイム記録の芽生え
早くクリアすることへの関心は、ゲームの黎明期からありました。1986年の『メトロイド』はクリアタイムによってエンディングが変わり、1989年の『プリンス・オブ・ペルシャ』は最初から制限時間内に王女を救わなければならないゲームでした。早くクリアするほど報酬があるという仕組みが、プレイヤーに「記録」を意識させました。
現代のスピードランの直接的な土台を築いたのはid Softwareです。1992年の『Wolfenstein 3D』は各ステージに「パータイム(par time)」という基準タイムを表示していましたが、このタイムは開発者ジョン・ロメロの個人記録をもとにしていました。ロメロの最高記録は公式攻略本にも掲載され、プレイヤーに彼の記録を破ってもらおうという意図がありました。
1993〜2003年:DOOMとQuakeのデモ文化
スピードランのコミュニティが本格的に生まれたのは、1993年の『DOOM』からだとされています。DOOMはパータイムを受け継ぎ、プレイを「デモ」という小さなファイルに録画して再生することができました。デモファイルは実際の映像よりはるかに小さいため、遅いインターネットや電子掲示板でも簡単にやり取りできました。
- 1994年1月、カナダのウォータールー大学の学生クリスティーナ・ノーマンが、DOOMのデモを集めるサーバー「LMP殿堂(LMP Hall of Fame)」を作りました。
- 1994年11月、サイモン・ウィドレイクがDOOMの各ステージの記録順位を表示するサイトCOMPET-Nを作りました。これがDOOMスピードランコミュニティの始まりとされています。
- 1996年に『Quake』が出ると、1997年4月にノーラン・プフルーク(Radix)がQuakeの記録サイトを開設し、1997年6月にはゲーム全体を高速でクリアするデモ『Quake Done Quick』を公開して、スピードランをより多くの人に知らしめました。
- 1998年4月には、このサイトがほかのデモサイトと統合され「Speed Demos Archive(SDA)」になりました。
Quakeのスピードランは、「バニーホップ(bunny hopping)」のようにジャンプをつなげて速度を上げる移動テクニックで有名でした。この技術はその後『カウンターストライク』などほかのシューティングゲームでも使われました。
2003年以降:あらゆるゲームへ、映像の時代へ
SDAは5年間Quakeの記録だけを扱っていましたが、2003年に『メトロイドプライム』の100%記録を掲載したのをきっかけに、あらゆるゲームの記録を受け付けるようになりました。それまでコンソールゲームの記録は主に記録認定団体のTwin Galaxiesに映像で送られていましたが、映像が公開されないことが多く、どのような技術で記録を出したのかを知るのは困難でした。SDAは記録映像を公開し、誰でも確認して学べるようにしました。
その後、映像共有とライブ配信がスピードランを大きく成長させました。
| 年 | 出来事 | 意味 |
|---|---|---|
| 2005年 | YouTube登場 | 誰でもスピードランの映像を投稿・視聴できるようになった |
| 2011年 | Twitch開始 | リアルタイムの挑戦過程をライブ配信で見せられるようになり、記録の検証も容易になった |
| 2014年 | Speedrun.com開設 | 多くのゲームのランキングを一か所に集約。2021年7月時点で2万を超えるゲームのランキングを運営 |
ライブ配信は記録の検証だけでなく、コミュニティの文化も変えました。一人で黙々と記録を破るのではなく、大勢で一緒に配信を見ながら新しい攻略法を見つけ、互いの記録を手助けする文化が根付きました。
ルート、グリッチ、シーケンスブレイク
スピードランは単に手が速ければできるものではありません。最も重要な作業は「ルート(route)」を組むことです。どの順番でステージを進み、どのアイテムを取って何を飛ばすか、最適な経路を設計する作業です。
- シーケンスブレイク:本来必ず通らなければならない区間やアイテムを飛ばすことです。この言葉は2002年の『メトロイドプライム』について初めて使われました。
- グリッチ(バグ)の活用:壁をすり抜けたり、ムービーを飛ばしたり、速度を異常に上げたりするバグを利用します。スピードランに使えるバグだけを専門に探す「グリッチハンター」もいます。
- 任意コード実行:一部のゲームでは、バグを利用してゲームのメモリに好きなコードを書き込み、すぐにエンディングのスタッフロールへ飛ばすこともあります。
初期のTwin Galaxiesのルールではバグの使用は認められていませんでした。記録コミュニティが独立したオンラインランキングへ移るにつれて、バグを使った記録が一般的になり、その代わりにバグ使用の有無を分けるカテゴリーが生まれました。
カテゴリー:何を「クリア」とみなすか
同じゲームでも、ルールによって記録はまったく異なります。そのためスピードランは複数のカテゴリーに分かれています。
| カテゴリー | ルール |
|---|---|
| Any% | 条件なしでエンディングまで最速で |
| 100% | すべてのアイテムや要素を集めてからクリア |
| Low% | 最小限のアイテムと要素だけでクリア |
| グリッチレス(Glitchless) | バグを一切使わない |
| ノーメジャーグリッチ | ゲームを大きく壊すバグだけを禁止 |
記録は通常映像として残し、区間ごとのタイムを計る「スプリット」タイマーを画面に一緒に表示します。各ゲームのランキングは、コミュニティから選ばれたボランティアの運営者が映像を確認して記録を認定します。
TAS:人間の限界を超える「理論上の最高」
TAS(ツールアシステッドスピードラン)は、エミュレーターとツールを使って作った記録です。1フレームずつ進め、セーブステートで何度も巻き戻しながら入力を完璧に合わせます。人間には不可能な精度で「理論上最高のプレイ」を見せることが目的です。
TASという言葉はDOOMスピードランの時代に生まれました。DOOMのソースコードを改造して、遅い速度で何回かに分けてデモを録画できるようになり、1999年6月にこうしたデモを集める最初のサイトが開設されました。
TASが広く知られるきっかけになったのは2003年でした。日本のmorimotoというユーザーが『スーパーマリオブラザーズ3』を約11分でクリアする華麗な映像を公開しましたが、TASであるという説明がなかったため、多くの人が実際の人間のプレイだと信じました。後に制作方法が明らかになると「だまされた」という反応が起こり、morimotoは謝罪しました。この映像を見たBisqwitは、同じ年の12月にTAS専門サイト(現在のTASVideos)を作りました。
現在では、人間が直接プレイする通常のスピードラン(RTA)とTASは別の分野として認められています。TASで発見された技術が後に人間の記録に使われることも多く、両者は競争というより協力関係に近いといえます。
Games Done Quick:スピードランがチャリティーになる
スピードラン文化を大衆に最も広く知らしめたのは、チャリティーマラソン「Games Done Quick(GDQ)」です。複数のスピードランナーが順番にステージ上でゲームを高速クリアし、その様子をライブ配信して視聴者から寄付を募ります。
始まりはささやかなものでした。2010年1月、SDAのユーザーたちが8ビット・16ビットゲームをテーマに「Classic Games Done Quick」を開催しました。会場のホテルのインターネットが不調で、運営者マイク・ウヤマの母親の家に場所を移さなければなりませんでしたが、1万ドル以上が集まりました。その後、毎年1月の「Awesome Games Done Quick(AGDQ)」ががん予防財団を、夏の「Summer Games Done Quick(SGDQ)」が国境なき医師団を支援するイベントとして定着しました。ウィキペディアにまとめられたところでは、2026年1月までに100万件を超える寄付で5,980万ドル以上が集まりました。
GDQの配信の面白さは記録そのものだけではありません。解説者がバグやルートを説明し、視聴者は寄付で主人公の名前を決めたり追加の挑戦をリクエストしたりします。スピードランをよく知らない人でも気軽に楽しめる形式が、大衆化に大きな役割を果たしました。
スーパーマリオブラザーズ:フレーム単位の競争
スピードランの極限を示す代表例が、1985年の『スーパーマリオブラザーズ』です。最も最適化が進んだゲームのひとつとされています。
- 2010年12月24日、アンドリュー・ガーディキス(andrewg)が初めて5分の壁を破りました(4分59秒690)。
- 2016年9月、旗ざおのバグを人間が実戦で安定して使える方法が発見され、記録が再び大きく縮みました。
- 2021年4月7日、Niftskiが4分55秒の壁を破りました(4分54秒948)。Ars Technicaはこれを陸上競技の「1マイル4分の壁」突破になぞらえました。
- 2026年8月13日、Niftskiが4分54秒332を記録しました。理論上完璧な記録とされる4分54秒265との差はわずか4フレーム(約0.067秒)です。
このゲームには、一定のフレーム単位でしか進行が処理されない「フレームルール」があるため、縮められる時間が階段状に決まっています。そのため上位争いは、何年もかけて何千回も挑戦し、1フレームを縮める戦いになりました。ブラジルのランナーLakuitiは、北米版より少し遅いブラジル版の機器で練習していましたが、コミュニティが機材を集めて送った後に世界記録を樹立したこともあります。
スピードランが示すもの
スピードランは、ゲームを「作った人の意図どおりに」楽しむことからさらに一歩進んで、ゲームのルールと限界を徹底的に探求する文化です。数十年前のゲームから新しいバグや新しいルートが見つかり続けているという事実は、ゲームというシステムがどれほど奥深いかを示しています。
また、スピードランのコミュニティは競い合いながらも攻略を公開し、互いの記録を助け合う協力的な文化で知られています。パズルゲームでも「最少手数」や「最短時間」といった挑戦が生まれていることを見ると、早く、そして完璧に解きたいという気持ちはジャンルを問わないようです。